仙台で”今”みたい映画|『ひとつの机、ふたつの制服』レビュー

今回はフォーラム仙台で12月11日まで上映中、台湾映画の「ひとつの机、ふたつの制服」(監督:ジュアン・ジンシェン)を紹介します。

なお、映画には「大地震」に関する描写がありますので、視聴にあたってはご注意ください。


 

 

全編にわたって、「青春のきらめき」と呼びたい何かが充満している。とっくに失ってしまった自分には、それはもう眩しすぎるのだけれど。とはいえこの映画は「青春ムービー」と一言では片付けられない、「劣等感」を持ったすべての人に向けられた映画なのだ。

1990年代後半の台湾。進学校である女子高、その夜間部に嫌々ながら母親から言われて入学した主人公が、机を共有した全日制の生徒と仲を深めていく。また、バイト先で出会ったある男子高校生に好意を抱くが、彼女も同じ人を好きになっていることがわかり……というストーリーだ。

三角関係の恋愛も、この映画の一つの大きな要素ではある。しかし、当然ながら自分が高校生だった頃を思い出してみても、それは「全て」ではない。明日やりたいこと、家庭の事情、趣味で分かり合えた時の喜び、迫り来る未来の選択、そういった忘れてしまったような何かが、その空気感と共に、この映画にはある。

俳優陣の演技はフレッシュで、本編は爽やかでキラキラした映像で満ちている(台湾の気候も関係あるかもしれないし、そもそもクライマックスである受験シーズンが夏だ)。その結果、なかったはずの「輝かしい季節」を体験し、そこにあったかのようにさえ思える。「見たことがあるような気がする」けれども、「どこか確実に違う」風景も、それを否応なくさせている感じがする。

いや、本当は存在していたのだろう。

主人公、また多くの登場人物と同じように、自分の中にある「呪い」ともいうべきもののせいで、それが見えなかっただけなのだ。それは「夜間部」に対する世間の声だったり、「優等生」であるべきプレッシャーだったり、「家族関係」だったり、「肩書きのない自分」であったりする。それを振り払うことができれば、自分そのものに立ち向かっていけば、今からでも遅くないはずだ(バイト先の卓球場のおじさんのように、その勇気さえあれば)。

またいつか、この清々しい気持ちを忘れないように観返したくなる、大切にしたい映画だった。

蛇足:主人公がなんとなく、私立恵比寿中学の中山莉子さんに似ている気がしたのは自分だけだろうか……

執筆:オショロコマ