【短期集中連載小説】裏ステージの住人<第1話>【在仙小説家・根本聡一郎】

2020_archive

 

『……さて、第一セメスターがついに始まりました。ひとまず、お祝いしましょう。はじまらない可能性もあったわけだから』

物理的にも心理的にも遠いところから声が聞こえる。

黒川琉生(るい)は安アパートの一室に引きこもり、ノートパソコンと孤独に向き合っていた。

液晶画面には、老齢の男性が大講義室A201の教壇にぽつんと立っている姿が映し出されている。

講義「情報社会と文化」を担当する本吉昭夫教授は、異様な光景の中でなぜか少し上機嫌に見えた。

『一度、こうして講義をやってみたかったですよ。「復活の日」のユージン・スミルノフ教授に昔あこがれてね……あ、いや、この話はやめておきましょう。少し縁起が悪いので』

本吉教授は自分自身に言い聞かせるようにそう言った後、一方的に講義のガイダンスをはじめる。

一分もしないうちに、黒川の心は大講義室でも自室でもない場所にふらふらと離れていった。

 

「大学生活はさ、人生の夏休みだから!」

「サークルは絶対入っといたほうがいいよ。男女比はなるべく均等なとこね」

「新歓もどんどん行ったほうがいい。渡り歩けば、四月はマジで食費かかんないから」

 

オープンキャンパスで諸先輩方に吹きこまれた言葉が、脳裏に浮かんでは消えていく。

思い描いたキャンパスライフは、想像のはるか手前で躓いていた。

三月に引っ越しを終えてしばらく経った四月の初旬。
「新型感染症対策」を理由に大学から「不要不急の外出」を避けることを布告された黒川は、他に頼るべき組織も知らないため、渋々その指示に従っていた。

「理想のキャンパスライフ」がどんなものかは、今の自分にはよく分からない。それでも、誰もいない部屋でエキセントリックな男性が延々と話し続けるビデオ映像を眺める現状が、理想からほど遠いことだけは確かだった。

『……ダークウェブを紹介する文脈でよく名前が聞かれるので、やや誤解が広まっているところがありますが、技術自体に貴賤はありません』

斜に構えた姿勢でパソコンの前に座っていると、本吉教授の口からはじめて興味を惹かれるような単語が出てきた。

ダークウェブ。

その響きに暗い魅力を感じ、黒川は初めて真剣に講義を聞いてみようと思う。

本吉教授はさらに説明を続けた。

『特にみなさんは、これからオンラインで重要な情報をやりとりすることが増えていくわけでして、そのような環境では、セキュリティというのはいくら意識しても意識しすぎるということはないわけです。「トーア」は、そうした意味ではなかなか心強い味方です』

ガイダンスを聞き流しつつ、黒川は本吉教授の口にした単語をさっそく検索する。

「トーア」は接続経路の匿名化を実現するソフトウェアの名称だった。正式名称は“The Onion Router”で、一般的には略してTorと呼ばれているらしい。

公式サイトは英語表記だったが、受験勉強で身に付けたリーディング能力を無駄に活用し、まもなく黒川は「Tor」のダウンロードにこぎ着けていた。

『……しかしこの「匿名性」というのはなかなか厄介なものでして、初期のネット社会では重要な文化を醸成してきたと同時に、犯罪行為の温床にもなってきた側面もあります。今日の講義は、この「ネットと匿名文化の功罪」について、お話していくとしましょう』

本吉教授の声をBGM代わりに、黒川は作業を続ける。

「Start Tor Browser」とタイトルの付いた紫色のアイコンをダブルクリックすると、背景が紫一色に染まったTorのブラウザが現れる。中央部には白抜き文字で「Explore. Privately.」と大きく書かれていた。

「……冒険しよう、内密に」

直訳した意味を小さくつぶやく。その響きに、黒川は静かな興奮を覚えていた。

県北の町からこの仙台に引っ越してからというもの、黒川は大学からの指示を忠実に守り、食事以外の目的でこのアパートをほとんど出たことがなかった。ブラウザに表示されたその二つの単語は、「自粛」で渇き切った心を潤してくれる予感があった。

 

『……というわけで、今日は匿名文化発祥の地、Usenetと7つのニュースグループについてお話しました。来週は、このニュースグループからはみ出した集団「alt.」についてお話しましょう。あーと、そうだ。今後、オンライン授業中に何かトラブルがあった場合は、TAの柴田さんに相談するように。柴田さんは……』

『はい、こちらです』

本吉教授の呼びかけに応じて、中継映像の窓が新たに増える。

ティーチングアシスタントの柴田さんは、黒縁眼鏡をかけた怜悧な雰囲気の女性だった。

『本講義「情報社会と文化」の受講を決めた方は、これからコメント欄に投稿する柴田のアドレスにまでご連絡ください。休講等の講義に関する情報を一斉送信でお送りします』

柴田さんが淡々とした口調でそう言うと同時に、中継ツールのコメント欄へ「shiba11@…」と書かれた文字列が流れる。どうやらこれが、柴田さんのアドレスらしい。

『さてお時間です。またこの場所でお会いしましょう。それではみなさん、また来週』

タイミングを見計らって、本吉教授が往年のテレビ番組を思わせるような奇妙な挨拶をする。

まもなく映像が途切れ、今期はじめてのオンライン授業は幕を閉じた。

 

 

「……なんだ、これ」

液晶を見ながら、思わずそうつぶやく。

本吉教授の講義のあと、空きコマで暇を持て余していた黒川は、先ほどダウンロードしたソフトウェア「Tor」を使ってネットサーフィンをしていた。

デフォルトで設定されている「DuckDuckGO」という妙な名前の検索エンジンは、当初は読み込みがやや遅い以外はGoogle検索と何も変わらないように見えたが、「Torでしか見れないサイト」と検索した途端に、表示される内容はぐっとダークなものへと変わっていた。

いま黒川が見ているのは、「たまねぎちゃんねる」という名称の「Tor」を使用しないと入れない匿名掲示板だった。

サイトは「雑談板」「怪談板」「猥談版」というたった3つのコンテンツで構成されていて、いま閲覧している「雑談板」では、ごくありきたりな雑談に混じって、明らかに危ない何かを売っている投稿が平然と表示されていた。

不安と興奮が入り混じった感情のまま治安の悪い掲示板群を眺めていると、中に一つ、気になる名前のスレッドを見つけた。

 

 

「不謹慎おじさん」を名乗るスレッド主の投稿を読み、黒川は小さく唾を飲みこむ。

「表」の世界に飽き飽きしていた黒川は、「裏ステージ」「秘密のゲーム」という単語に、無視できない魅力を感じていた。

メニューには、黒川が住む仙台の文字もある。

投稿の末尾にあった「ウィッカーID」という言葉を検索すると、検索結果のトップには「送信したメッセージを消せる!? 秘匿性メッセージアプリ Wickr」と題したブログ記事が表示されていた。

記事によれば「ウィッカー」は、送信者の身元を秘匿する能力が高い、暗号化メッセージアプリの名前らしい。

得体の知れない世界へ足を踏み入れていくことに一抹の不安を覚えつつ、黒川は好奇心から「Wickr」のアプリをダウンロードしていた。逡巡した後、掲示板に投稿されていた「不謹慎おじさん」のウィッカーIDを入力する。

検索結果には「(´・ω・`)」の顔文字をアイコンにしたアカウントが一つだけ現れた。

「……出てきた」

部屋で一人つぶやいてからふと、自分は何かとんでもないことに手を出そうとしているんじゃないかという気持ちが湧いてくる。

「不謹慎おじさん」は、警察にマークされているような裏社会の人物かもしれない。だとすれば、接触するだけで自分も法を犯すようなことになるかもしれない。

だが、このまま表の世界のルールを守って部屋に引きこもり続けたからといって、自分の生活が好転するとも思えなかった。

 

『ようこそ、裏ステ―ジへ』

 

掲示板に表示された文字をじっと見つめる。

『不謹慎おじさんですか?』

何度も変換と削除を繰り返した後、黒川はごくシンプルなメッセージを送信した。

『やあ(´・ω・`)
よくみつけたね
それじゃあ、注文の番号を聞こうか』

その返信は、信じられない早さで黒川のスマートフォンに届いていた。動揺を覚えつつ、二つの液晶画面を見比べる。

「番号って……」

黒川はしばし悩んだ後、ノートパソコンに表示された不謹慎おじさんの投稿に目をやる。

メニュー欄にある地名と番号を確かめた後、黒川はわずかに震える指で「3」とだけメッセージを送った。

『ふむ(´・ω・`)
それじゃあ君には、仙台を舞台にしたゲームに挑戦してもらおう。
「代替現実ゲーム」という言葉を聞いたことはあるかな?』

「不謹慎おじさん」は、LINE中毒の女子高生かと思うような速度でメッセージを返してきていた。

この人は一体何者なんだと思いつつ、「代替現実」という響きに興味を惹かれる。

これまでその言葉に聞き覚えはなかったため、素直に『ありません』とだけメッセージを送ると「不謹慎おじさん」からは、またもや一瞬で返信があった。

 

『alternate reality game.(´・ω・`)
英語圏では、こう呼ばれている。

簡単に言えば、代替現実ゲームとは
日常世界の一部をゲームの世界へ取り込んで
現実と仮想を交差させる遊びのことだ。

私はダークウェブ上で、長年このゲームを主催している。
参加者が得られる報酬は、ここでしか味わえない経験
そして、少しばかりのファイトマネーだ』

 

メッセージを読みながら、鼓動が徐々に早まっていくのを感じる。
誰もいない部屋に半ば強制的に軟禁され、代わり映えのない毎日を過ごしていた黒川にとって、謎の人物が主催するそのゲームはとても魅力的に映った。
ゲームに参加したい。退屈な現実を変えたい。そう願うと同時に、「不謹慎おじさん」から新たなメッセージが届いた。

 

『さあ(´・ω・`)
ゲームをはじめよう。

君には、これから送る情報をたよりに
「あるもの」を手に入れてほしい。
「あるもの」を獲得することで、
君は次のステージへと進むことができる』

 

メッセージのあと続けざまに送られて来た画像は、意味の分からない文字列の組み合わせだった。

 

 

投稿をタップし、画像を保存しようとすると「保存」や「共有」などの操作が一切できないことに気づく。

こちらの動作を見越していたかのように、不謹慎おじさんから新たなメッセージが届く。

 

『caution(´・ω・`)
クリアまでの制限時間は、3日以内
このメッセージは、3分間で自動的に消失する
スクリーンショットや画像の保存はできない
誰にも頼らず、自分の力で解くこと』

 

「3分?」

思わずそう口にした後、慌ててメモと筆記用具を探す。送られてきた画像をなるべく正確に書き写し終えたところで、またメッセージが届いた。

 

『檄(´・ω・`)
君が思っているよりずっと、この世界は遊び甲斐がある。
行けないように思える場所にも、君の気持ちひとつで行ける。
健闘を期待しているよ』

 

「……なんなんだよ、この人」

妙に多彩な口調で話す顔文字に苦笑しつつ、机の上に置いたままのメモを見返す。この情報が示す場所へ向かえば、自分は「あるもの」を手に入れられるらしい。

何もかもが奇妙で不審だったが、黒川は新学期になってからはじめて、自分が外の世界に期待と興奮を抱いていることに気づいていた。

メモとスマートフォンを掴んで、立ち上がる。

一度深く息を吸い込むと、黒川はよどんだ空気の漂う自室を横切り、数日ぶりに家を出た。

 

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筆者紹介

 

根本聡一郎

福島県いわき市出身。仙台市在住。1990年10月20日生まれ。NPO法人メディアージ理事。東北大学文学部卒業後、NPO活動と並行して作家活動を開始。東北を舞台にした物語を中心に執筆活動を行っている。

著書に『プロパガンダゲーム』『ウィザードグラス』(双葉文庫)「宇宙船の落ちた町」(角川春樹事務所)などがある。

★公式WEBサイト pointnemo.jp