【目指せ仙台在住作家!】地元・仙台を愛する大学院生&会社員なライター・ShimMyanの素顔【トリセツ・ShimMyan編】

トリセツ

ウラロジ仙台編集部の「トリセツ」って?

トリセツとは、ウラロジ仙台編集部のメンバーの「取扱説明書」の意。
ローカルな話題にとらわれず、編集部メンバーの紹介や個人的な趣味の話題などにスポットを当てていくコーナーです。
担当している企画やSNSからは伝わらない、編集部メンバーの別の顔、新たな一面を楽しんでいただければと思います!

今回取り上げるのは、最近加入した新メンバー・ShimMyan(しんめい)さん

 

ウラロジ仙台編集部では一番の新人ながら、「ウラロジ的歴史社会学」なる企画を持ち込み、さっそく記事をアップしてくれています。むちゃくちゃ頼りになる人材で、加入早々コミティアのレポート記事も担当してくださいました。
ときに大学院生、ときに会社員、ときにフリーランサーとたくさんの顔を持っているShimMyanさんですが、パーソナルな部分については我々もまだまだ知らないことばかり。
編集部の面々はもちろん、ウラロジ仙台読者の皆様も急に登場した新キャラ・ShimMyanさんが気になっているはず……というわけで、今回はShimMyanさんに色々とお話を伺ってきました。

とっても濃いインタビューになったので記事のボリュームも絶対やばくなると思うけど、みんな振り落とされずについてきてくれよな!!今回はガチで文字が多めです!!

一番の売りは中卒なこと。ShimMyanさんのこれまでの歩み

──それじゃあそろそろはじめましょうか。これ切り出すまでにすでにだいぶ話し込んじゃって、結構時間が押してるけど……まずはShimMyanさんについて簡単に教えてください。

ShimMyan:普段は東京と仙台を往来し、二拠点生活をしてます。出身は仙台で、18〜19歳くらいまで仙台で育って、その後神戸の大学に進学しました。大学卒業後は公務員として就職して上京、東京で働いた後フランスにも1年くらい駐在して……色々あってやめて、日本に戻ってきた感じです。

──コンパクトにまとめてもらったけどすごいですね。経歴が派手というか。

ShimMyan:それで言うと、私、中卒なんですよ。高卒認定試験をとって大学受験したんです。そこが一番の売りポイントで。

──売りポイントなんだ。

ShimMyan:個人的には。フランスから帰ってきてからは、大学院とIT業界の端っこにいるって感じです。

──そうだ、大学院生でもあるんだった。中卒から高卒認定試験をとって進学・就職、その後大学院にというのはたしかに、いわゆる一般的な「進学・就職」のルートと近いようでちょっと違いますね。大学院に入ったのはどの辺のタイミングなんですか?

ShimMyan:本当は大学を卒業するときにも、大学院に進学したかったんですよ。ただお金の都合とかもあって就職を選んだんです。でも研究が好きで、社会人をやりながらも勉強を続けたい気持ちはずっとあって。日本に帰ってきたタイミングで、ちょうど東北大学の修士課程の院試がまだ残ってたので、そこで拾ってもらいました。仙台にも戻りたいって思ってたし。

家族のために、大好きな地元を出る覚悟

──ShimMyanさん、結構仙台好きですよね。

ShimMyan:すごく好きですね。18〜19歳の頃に離れちゃったんですけど、仙台にはずっと戻ってきたいと思ってて。地元に行くともう涙が出ちゃうんですよ、懐かしくて。ゲーセンで女子とプリクラ撮ったなとか、太鼓の達人したなとか、遊んでるの見つかって補導されそうになったなとか。

──人生を一番無邪気に楽しんでた時期だ。地元に行くと思い出がよみがえりますよね。

ShimMyan:そう、一番何も考えてなかった時期。今はもう、色々なこと考えるじゃないですか、社会的なことを。あの時代はまだ親に守られてたし……当時行ってたお店とか街とか行くと、その頃の記憶を色々と思い出しますね。自分の家は母子家庭で、母は女手ひとつで自分を含め3人子どもを育ててくれたんですけど、大変そうだったなあとか。今はネットで知り合った人とオフ会して登山したりして楽しそうですけど。

──それでも、進学は関西、就職は東京だったんですね。

ShimMyan:中学生くらいの頃から検察官か外交官になりたいと思ってたんです。その後外国語系に進んで、英語とフランス語を専攻して。

──外交官を目指していたからこその進路なわけですね。なぜ外交官を目指していたんですか?

ShimMyan:実はですね、母親が西洋美術が好きで。世界中を旅して、実際に好きな絵画とか見に行けたらいいね、というようなことをよく言っていて……自分が海外に赴任するような仕事に就けたら連れて行ってあげられるなって。私も海外行くのは好きでしたし。

──親孝行ですね。自分のためじゃなく誰かのために、っていう夢は挫折しがちな気もしますが。

文章を書くのが好きなのは昔から。目指せ新人文学賞!

ShimMyan:自分の中では何かになりたいっていうのがあんまりなかったんですよ。だから他人に決めてもらった方が楽だし、頑張れる。本を読んだり文章書いたりするのが昔から特に好きだったけど、それを続けていられるなら、食っていくための仕事は何でもいい。最終的にはやりたいことで飯食えたら嬉しいですけどね。

──たしかに。「好き」が仕事に直結したら、割けるリソースも増えそうだし。

ShimMyan:今も小説の新人賞に応募したりはしてます。20代のうちに新人賞どれか取りたいですね、文藝賞とか『群像』の新人文学賞とか。

──おお……応援してます。取ってほしい!

ShimMyan:今年も出すつもりなんですけど、結構気合入ってて。小説で賞を取って20代のうちに会社員の仕事をやめて、フリーランスの仕事と、貰えるなら文章の仕事でやっていきたい。会社員の仕事も嫌いじゃないんですけど、拘束時間が長いと体力的にもきついので。

──大学院生でもありますもんね。

ShimMyan:そう、研究も結構好きなんです。会社員やめたいなと思いつつ、やめる踏ん切りがなかなかつかなくて。会社の環境とか仕事の内容に不満があるわけでもないし、人間関係も良好だし……。

──その踏ん切りのためにもね!

ShimMyan:そうなんですよ、めちゃくちゃ取りたいんですよ。

──差し支えなければジャンルとか教えていただいてもいいですか?

ShimMyan:ジャンルは純文学で、今年出す小説は……とある男の子が大学に入るまでの過程を書いた話です。社会の持つ物語から外れてしまった人が、社会と対峙したときどうなるのか、どういうことができるのかっていうのが主題にありますね。社会っていう権力構造に対して個人が対峙したときどうなるかを書いてます。

──新人賞取って出版されたら私や読者の皆さんも読めるから、なんとかして受賞してほしいな……。それから、これはウラロジ編集部のメンバーからの質問なんですけども。ShimMyanさんが好きな音楽とか好きな有名人、今はまっているものとかを聞きたいとのことで。

ShimMyan:好きな音楽は……赤い公園ずとまよ(ずっと真夜中でいいのに。)のような女性ボーカルサウンド、それからシティポップも好き。昔のAwesome City Clubとか、tofubeatsとか……ダンスミュージックも結構好きですね。あと、少し古めのアニソン・キャラソンとか聴いてます。『魔法先生ネギま!』とか『NINKU -忍空-』『スレイヤーズ』辺りの。

 


▲ドラマ『ロストデイズ』の主題歌でもある、赤い公園の人気曲「絶対的な関係」


▲活動の端緒となった処女作「秒針を噛む」。ぬゆりPが作曲・編曲に参加していることでも話題になりました


▲「魔法先生ネギま!」OP。アニメは見たことがなくても、曲を聴いたことはあるという人も多いはず。歌っているのはネギが担任を務める麻帆良学園中等部2-Aの生徒たちです

 

ShimMyan:アーティストで言うと、赤い公園の津野米咲さんが好きです。理想の女性かもしれないです。好きなタイプが「才能のある人」で。ついていきたいと思える人が好きですね。

──ふむふむ。最近はまっているものっていうと、何かありますか? アニメでも何でもいいんですが。

ShimMyan攻殻機動隊ですね!NETFLIXで配信されている、SAC_2045っていう最新作の。

──じゃあ逆に、「自分はこれで育った」っていう思い入れのあるタイトルは何でしょうか。やっぱりTwitterでもよく話題に出している『ネギま!』とか?


▲何気ない話題の中にも『ネギま!』のキャラ名が。ちなみにたかみち(タカミチ・T・高畑)は麻帆良学園の英語の先生で、渋くてダンディーなおじさまです。

ShimMyan『ネギま!』と、あとは『テニプリ(テニスの王子様)』ですかね。テニプリのキャラクターで言えば、氷帝学園の忍足 侑士(おしたり ゆうし)がすごく好きで。髪が長くて丸眼鏡がセクシーで、ああいう男になりたかったなあと。声も低くて関西弁で、絶対女性ファンがつく感じ。あと、同じ氷帝学園の樺地(かばじ)も好きでしたね。

──テニプリに登場する学校の中でも、氷帝学園のキャラクターは人気がありましたからねえ。ウラロジ編集部のみんなも結構漫画好きだし、そういう話をShimMyanさんとしたいんだと思います。

ShimMyan:私、対面で話すのが苦手なんですよ。横並びで座ってれば普通に話せるんですけど、目を合わせるのが難しくて。横並びなら気軽なおしゃべりもしていけると思います!

社会学に興味を持ったきっかけは、ShimMyanさんが自身の人生から感じた「生きづらさ」

──研究がお好きだということで、その辺りのお話も伺いたいんですが。ShimMyanさんは今、大学院で社会学の研究をなさっているんですよね。

ShimMyan:そうです。元々、学部時代の指導教員の専門が社会学で。それに加えて、自分の持っている問題にフックするのが哲学とか社会学だなと。自分は高校を出てなくて、高卒認定試験を受けて大学に入って……今でこそそういう部分も普通に話せるようになったけど、当時は色々と生きづらさを抱えていたんです。この生きづらさってなんなんだろうな、って考えたときに、「社会なるもの」が関係してるんじゃないかということに思い当たって。

──社会なるもの。

ShimMyan:日本社会の中の中流階級の人たちって、大体が同じようなライフコースを進んでるんですね。社会的なもののほとんどが画一的なライフコースを進んだ人たちによって構成されているわけです。私はいわゆる下流家庭で育ったんですけど、主流のライフコースから外れた家庭で育ったことでちょっと、生きづらさを抱えて鬱蒼としたパーソナリティーになったというか(笑)。自分のような生きづらさを抱えた人たちがこの社会をより良く生きていくために、この社会をある意味でハックする、その手法として社会学とか哲学があるんじゃないかと。

──先ほどの小説のお話もそうですけど、自分の経験から興味を持つようになったんですね。

ShimMyan:私の論文の問題意識もその辺りですね。そもそも何故生きづらさを感じてしまうのか、生きづらさを抱えている人を解放するにはどうしたらいいか。社会学の中でも特に理論社会学っていう、社会を閉じたシステムとして捉えて、社会理論や計量とか統計とかも使って考える分野の研究をしています。だから人のライフコースを聞くのが好きなんですよ。自分とは違う育ち方をした人が、その中でどう考えてるのかとか知りたくて。

──言い方は良くないかも知れませんが、育った家庭の状況から考えるとShimMyanさんってすごくレアなケースですよね? 高学歴で就職もできていて……。

ShimMyan:そう、そうなんです。自分の研究テーマのひとつでもあるんですが、貧困って再生産されるんですよ。そして既存の多くの研究としてもアウトカムとして、地方の貧乏な母子家庭出身である私のライフコースは予想に反するものなんです。

──母子家庭だったり生活に余裕がなかったり、地方出身だったりといった要素のある家庭環境で育つと、大人になっても社会階層が変わりにくい結果になるケースが多いってことが研究から幾分か言われているんですね。

ShimMyan:その理論で言うと、私はいわゆる外れ値なんです。兄もそうで、今は大学で研究をしているんですけど。私たちのような「貧しい家庭から外れ値で上のライフコースにいく人たちにはどんな共通点があるのか」ってことを文章にしようと考えてます。逆に、お金持ちだったのに凋落してしまうのは何故なのかとか、中流階級の人はどうしてずっと中流なのかとか。その辺明らかにできれば面白いなって。私の中学時代の同級生でも、やっぱり偏差値低めの高校に入って、2年生くらいでやめちゃう人も多くて。そうなると選べる職種の幅も狭まるし……そういう状況を見ていると調べたくなりますし、もどかしいですね。

──なるほど。余裕がないと、そもそも進学を諦めて早いうちから働かなきゃいけなかったりしますね。

ShimMyan:たとえば沖縄のヤンキーはなんでずっとヤンキーなのかとか、地域レベルでの研究は結構あるんですよ。まぁ研究的な視点を抜きにした個人的な肌感覚としては、結局お金という余裕がないと色々しんどいのかもしれないのかなと思ったりします。

沖縄のヤンキー問題については、社会学者・打越正行氏の研究が有名です。打越正行氏は、自身の生まれ故郷を嫌いだと言う沖縄出身の若者との出会いを機に沖縄でフィールドワークを行い、ヤンキー社会と直接関わってその実態を研究したそう。10年以上続けたフィールドワークの集大成である著作『ヤンキーと地元』では、「地元」という世界から逃れられない若者たちの実情が記録されています。

 

生活が大変な中でも心は豊かに。でもごはんはちゃんと食べようね…!

──お金がなくてもないなりに頑張ることも可能ではあるんだろうけど、なかなか難しいですよね。生活がそもそもハードだし。

ShimMyan:そうなんです。私もめちゃくちゃ図書館に通うとかしてたし、やりようはあるんですけど……おふくろも、本だけは唯一何でも買ってくれたんですよね。それと今でも覚えてるのが、私ずっとピアノを習ってて。

──ピアノ!

ShimMyan:食費ギリギリまで削ってるときでも、腹減ってるのにピアノ習ってるんですよ。「何で食事よりピアノなんだ?」って思って母に聞いてみたら、「腹が減ってるよりも心が貧しい方が問題だ」って言われて、なるほどなと。

──いやあ、名言ですね。さすがに育ち盛りの子どもにはお腹いっぱい食べさせてあげた方がいい気もするけど。

ShimMyan:それはほんとにそう。だから線が細くなっちゃったんですよ、なで肩だし、骨盤も浮き出てるし……三島由紀夫みたいな体に憧れてたのに。ウエストとかもめちゃくちゃ細い。1日1500キロカロリーくらいは摂ってるんですけど。

──1500キロカロリー!? もっといっぱいごはん食べましょう……!!

共感力の低さも「社会」をハックする原動力に

──ええと、話を戻すと、ShimMyanさんの社会学に対する思いは、自分の過去の体験によるところがかなり大きいんですね。

ShimMyan:そうですね。それと私、共感力が皆無なので……人の気持ちに共感しにくい場面が多いんです。だからこそ、せめて自分の感じていることは言語化しようと。

──ああ、なるほど……せめてこちらの気持ちは伝えることはできるように。

ShimMyan:そうです。たとえば、未だに恋愛感情の「好き」も理解できてないですね。というか多分、自分にはないんですけど。周りを見て、「そうするものなんだ」と思ってとりあえず彼女をつくってみるという感じでした、かつては。

──その辺りはまあ、人それぞれですよね。恋とは愛とは、なんて大人になってもよくわからないし。

ShimMyan:ね。一緒にいて楽しいだけじゃだめなのか?って。

──だめって人もいるらしいですよ。「一緒にいて楽しいから好き」って言われても、「一緒にいて楽しい人なんてたくさんいるじゃん!」って思う人もいるらしい。一緒にいて楽しい人なんて、そうそういないけどなあ……。

「地元とのつながりが欲しい」という思いで参加したウラロジ仙台編集部

──ShimMyanさん、ただでさえかなり多忙じゃないですか。その中でウラロジ仙台にも関わってみようと思うのは結構、すごいなと思っていて。こちらとしてはありがたい限りなのですが……ウラロジ仙台を知ったきっかけとかは覚えていますか?

ShimMyan:仙台のローカルなWebメディアとか雑誌とか見るのが元々好きだったんです。それで色々ググっていたら見つけて……シンプルに切り口が違うじゃないですか。ひたすらおしゃれなお店を紹介するとかではなくて、「隠れた魅力を発見・探究する」という仙台にある既存のメディアとは違ったコンセプトがある。そこが面白いなあと思って。

──他のメディアさんとは毛色がだいぶ違いますよね。

ShimMyan:大学生のときにマーケティングの会社で働いていたんですけど、そういうメディアのSEO系の記事とかに関わったことがあって。その他に小説もずっと書いていたし、エッセイ調の文章も書いてみたいなとも思っていたし……それともうひとつ、地元に貢献したいというか、仙台とのつながりを「地元」以外にもつくりたいなと思って。そういう思いで、編集部に入りたいとサポーターメンバー募集がかかった際に連絡しました。

──当時らむねさんも喜んでました、応募があった~!って。

ShimMyan:一旦関わるからにはちゃんと関わりたいなと思っています。自分のキャパシティーが基本的に3つで、今はそれが大学院・仕事・ウラロジという感じ。会社が1.5くらい、研究が4から5、3.5くらいがウラロジ。

──おお、だいぶ割いてくれている……。

ShimMyan:そう、なんか楽しいんですよ。それに結構勉強になりますね、編集長のらむねさんのムーヴとか。これが編集か、すげーなって思います。自分が出した企画とかも、らむねさんの手によって1が100になってる!って。感動しました、らむねさんの編集見て。我々はとりあえずアイデアを出して、0を1にする。編集やアドバイスで、その1を100にしてくれるっていう。

──これらむねさんも喜ぶだろうな~。強調して書いとこう。

ShimMyan:私末っ子なので、人についていくのが好きなんですよ。だから、らむねさんみたいな……カリスマというか、求心力がある人についていくのが好き。会社では管理職っぽい事やってるんですけど、本当はフィールドを走っていたいタイプで。

──ウラロジ仙台の活動で、特に楽しいって思うのはどんなところですか?

ShimMyan:まず、記事の執筆はすごく楽しいですね。あとはみちのくコミティアへの出展もすごく面白かった。集団で何かをつくる楽しさを感じましたね、自分はこういうことがしたかったんだなあって思いました。ひとりだったら絶対大変でやりたくなくなるだろうけど、みんなとだったら、自分のアイデアも、予想外の方に跳ねたりするじゃないですか。そういうのが楽しい。

 

──先日、初めてShimMyanさんの担当企画ウラロジ的歴史社会学の記事が公開されました。その企画について伺いたいんですが、元々の構想はどういう風に生まれたんでしょうか。

ShimMyan:仙台も含めて、地方都市は東京とか大阪と比べると建築物の入れ替わりのサイクルが少し穏やかなんですけど、それでも古い物はどんどんなくなりつつあるじゃないですか。なくなってしまった物は人の記憶にしか残らないし、憶えている人が亡くなってしまったらもう、行政文書のほんの一部、1行2行記載がある程度になってしまう。なくなっていく記憶を、写真とか昔の資料とかも使って残しておけたらと思って。

──Webメディアだと、ページが削除されない限りずっとインターネットに残ってますからね。

ShimMyan:それともうひとつ、論文だとあんまり読んでもらえないっていうのがありますね。とある分野に興味を持っていたとして、関連する論文まで読む人は多くはないじゃないですか。硬派な資料の内容をまとめて読みやすい記事にできたら文章の性質的にもっと多くの人に読んでもらえるし、絶対そういう作業が必要だなと思って。Webメディアなら記事内で画像や挿絵なんかもたくさん使えるし。

──Webメディアのカジュアルさが活きてくるわけですね。

ShimMyan:カジュアルさが強みだと思います。仙台市の郷土史とかも、難しい研究論文なら結構蓄積があるんですけど、あんまり読まないじゃないですか。それを掘り起こして、カジュアルなWebメディアで見せていきたい。固い文章のまま埋もれさせるよりは意義があるかなと。

──郷土史に限らず、いろんな分野でそういう例はありますよね。難しい研究を噛み砕いてわかりやすくして、本にしたりテレビの企画にしたり。

ShimMyan研究の成果を界隈だけで共有するんじゃなくて、社会全体に発信できればいいなと。そういう意味ではWebメディアのポテンシャルは大きいと思います。

将来は作家を目指すShimMyanさん。読者の方へのメッセージも

ShimMyan:社会学の話とか、しても大丈夫でしたかね。話すのは全然いいんですけど、聞いてもらっていいのかなっていう……。

──私は聞けて楽しかったですよ! 聞き手としてはあまりに無知すぎて申し訳ないと思いましたけど、社会学ってすごく、血肉の通ったアプローチなんだなって感じられて嬉しくなりました。数字の話だけじゃないんだなって。本当に人の役に立つ研究なんですね。

ShimMyan:数字はあくまでツールで、生きづらさを可視化するためのものなんです。統計とかのアプローチを使って数字を出せば体験しなくてもわかりやすくなるし、マジョリティーを黙らせられる。

──生きづらさを抱えている皆さんが少しでも楽になれればいいなという意味でも、ShimMyanさんの研究を応援したくなりました。今後の目標や展望は何か、具体的なものってありますか?

ShimMyan:ウラロジ仙台については、もっと精力的に記事を書いていきたいっていうのがありますね。人の話を聞くのが好きなので、取材とかも頑張っていきたい。研究とか大学院については、博士課程まで進学するつもりなので……30歳か31歳くらいを目処に、博士号取れたら理想です。最終的には作家としても仕事ができたらいいですね。

──華やかだ~! めっちゃ輝いてる、経歴が。

ShimMyan:仕事についてはもう、粛々とやっていくだけです。食べていくためのことなので(笑)。まずは新人賞取りたいですね〜……まじで今は一番、新人賞取りたい。仙台在住の作家のひとりになりたいですね。

──取ったらウラロジでもお祝いしましょう、記事出して。うちのShimMyanさんが新人賞を取りました!!って。それでは最後に、読者の皆様へのメッセージをお願いします。

ShimMyan:それはもうただ一言、乞うご期待ということで。

──全部ひっくるめての一言ですよね。今日はありがとうございました!

 

インタビュイー:ShimMyan
取材・執筆:S
編集とありとあらゆる意味での手厚いサポート:恐山R

 

ShimMyan
普段はIT企業の会社員兼フリーランスでプログラマー/翻訳業をこなす傍ら東北大学博士課程で研究にも勤しんでいる、マルチに活躍するお兄さん。仙台出身。2022年度より情報処理係兼ライターとしてウラロジ仙台編集部に参画することに。現在は「ウラロジ的歴史社会学」の執筆等を担当中。