仙台で”今”みたい映画|『落下の王国 4Kデジタルリマスター』レビュー

今回のレビューは「落下の王国 4Kデジタルリマスター」についてお送りします。
フォーラム仙台で12月11日まで上映予定。


映画を見る前、ここ最近気になっているフレーズのひとつである、「もはやアート」について考えていた。「芸術としか言いようのない」などとも言う。アートの部分に「芸術」とされる「小説」なり「映画」なりを入れると成り立たないのに、「アート」と呼ぶだけでなにか一段階上の肯定的意味を持つのは不可思議、もしくは「アート」にはくだらないもの・厭なものはなく必然的に価値の高いものしか認めない、という含意があるのだろうか、などと思ったりしていた。もちろん、腑に落ちないので私はこのフレーズは使わない。


 

前置きが長くなったが、本題に移る。

この映画はターセム監督による「撮影期間4年、13の世界遺産、24カ国以上のロケーション(公式サイトより引用)」で製作された2006年公開の映画、そのリマスター(再編集)版である。製作のサポートにデヴィッド・フィンチャー(『ソーシャル・ネットワーク』『ファイトクラブ』)、スパイク・ジョーンズ(『ジャッカス』『マルコヴィッチの穴』)とのこと。

先に述べておくと、これも「映画館で見るべき」映画である。映像も、音も。もちろんそれだけではないが。

予告編でも十分、もしかしたらポスターの段階ですら「映画館で見るべき」という感じは伝わるかもしれない。もう何か気になることがあれば、ぜひ見た方が良いと思う。

ストーリーは比較的シンプルである。現実を悲観したスタントマンの男が入院中のある日、出会った同じく入院している少女に作り話をして仲良くなり、死ぬための薬を取ってこさせようとする。それはある壮大な復讐の物語で……という、二つのストーリーが並行して動いていく(俳優陣はそれぞれ2役演じている)映画だ。

全力でお勧めする部分としては何と言っても、その映像があまりに力強い。

まず、石岡瑛子による衣装デザインが一見奇抜にして、映画の世界観を徹底的に深める一つの主役とも言える存在感を放っている。これが先ほど述べたようなロケーションで、その輝きを存分に放つのだ。

シーンの紹介を少ししていく。冒頭、モノクロの画面で力強いクラシックに乗せて、線路から川に落ちるアクションシーンが繰り広げられる。この時点で映し出されているものに息を呑む。そして「昔々ロサンゼルスで……」という文字の後、まず大きなシュロのような木の葉が切られて落ちるところから、病院の風景が映される。

そう、この映画は原題(“The Fall”)の通り、何かが「落ちる」ことで物語が動いていく。思わずそのことに注目してしまうほど。

それ以降も次々と、砂漠のシーンの空の青さ、宮殿の壮大さ、布を真っ赤に染めて行う誓い、整然としているが故に人間という存在をありありと描いてしまう病院など、忘れ難い映像が次々と飛び出していく。それは美しいものだけではない。中盤で思わず目を背けたくなる造形物が登場し、そのあまりのおぞましさには言葉が出ない。綺麗なものだけではないその世界は、スクリーンの中に圧倒的迫力を持って存在する。

~以降、終盤のネタバレがあります~

 

 

 

 

終盤、男が目覚め、現実に対して絶望するシーンがある。当然その語る物語の行く末も悲劇であり、救いはないかのように思える。
しかし、少女の懇願によって、その物語は完全なハッピーエンドとは言わないまでも、一つの救済を迎える。

そこで我々は思い出す。小さなパンも、薬も、盗んでまで少女が彼に与えようとしたものはずっと「現実」における「救済」であり、それに応えるために彼ができることは、物語であり、映画であり、現実に影響するような「芸術」という「創造」によって、自分や世界を変えることなのだと。

言い換えると、凄まじいほどの映像を通し、この映画は「現実」と「芸術」、その二つの世界が「創造」と「救済」によって重なることの奇跡を見せてくれたのだ。

余談:冒頭のクラシックが最近気に入ってよく聴いていた曲(多分)だったので始まるなり「!?」となってめちゃくちゃびっくりしました……。

執筆:オショロコマ