「どうやったらそんなにシャンパンが開くの?」と言われた話
前回のさやかちゃんの話は一旦置いておいて、最近よく聞かれるようになったこの「どうやったらそんなにシャンパンが開くの?」という一言についてお話したいと思います。
1日の最高売上が200万、東北のレズビアンバー年間個人売上、3年連続No.1。
これだけ聞くと何かめちゃくちゃすごい人みたいですよね。
私も自私自身メディアに紹介される度、これ本当に自分のことか?と疑いたくなります。
まあ次の年にくる納税通知書で、それが間違いなく自分の立てた売上だと思い知るんですけど(今年もガッツリ持っていかれました)。
〈▲編集部注:レズビアンバーでは初めて開けられたという高級シャンパンのソウメイと、モエ・エ・シャンドンN.I.R、通称モエピカ。数年間エースで居てくれるお姫様からのシャンパンだそうで、この日のお会計もなんと一時間で10万円ほどだったのだとか。〉
毎日Twitterにシャンパンの写真をupしていると、「どうやったらそんなにシャンパンが開くの?」と聞かれることがあります。
そう言って頂けるのはとても有り難いなと感じる一方で、歌舞伎町なんかのお姉様方を見ていると自分なんてまだまだなのにこんな御大層な記事を上げてしまって本当に良いのか、夜の街の偉い人等に怒られたり嘲笑されたりしないものかとビクビクしながらパソコンに向かっています。
まあこれはあくまでも、小学生の頃から数年間いじめられっ子だった私がレズビアンバーという世界で花を咲かせるまでの個人的な話。長年いじめられていた女の子の、小さなシンデレラストーリーとしてお読み下さい。
インターネットは俺ら根暗キッズの唯一の友達
私がどうしてこんな高級シャンパンを開けて頂けるようになったのか。
それは私が元来クソ隠キャコミュ障オタクだったからの一言に尽きると思います。
今でこそネットが普及し、インスタ映えなどという言葉が常用化されてきましたが、昔は「ネットはオタクがやるもの」「漫画を読んでる人間はオタク」「オタク、それ即ち死」と言った文化が蔓延していました。
そんな中ご多聞に漏れずど腐れ隠キャオタクだった私は、日々学校という小さなコミュニティの中で友達を一人も作れず、ネットの中に居場所を見出す日々でした。
14歳そこそこの頃、初めて手にした携帯を胸に、私はタグ打ちメンヘラ日記サイトを立ち上げます。
「モバイルスペース」、通称モバスペ。
そう聞いて頭痛が走った人間は古の魔界より呼び起こされた○○○人目の迷える子羊…。
モバスペとは、自らHTMLタグを駆使して携帯電話向けのサイトを作れるサービスのこと。
そう、私の生まれた世代は個人サイト全盛期だったのです。
このサービスのブログサイトやリンクといった交流機能を用い、私は一日に数百人がアクセスする個人ブログサイトを管理していました。
今考えてみると、数年間に渡って管理していたこのブログサイトこそがその後の私に多大な影響を与えたコンテンツだったように思います。
今はインターネット上での交流ツールとしてTwitterやInstagramがメジャーになり、母体となるソーシャルネットサービスがあることで比較的簡単に自身のアカウントにアクセスしてもらえるようになりました。
しかしモバスペ世代の我々には、当時こういった便利なツールはありませんでした。余程の努力をしなければ、一日数百人というアクセス数を稼ぐことはできない時代だったのです。
人は自分にとって有益なものか、他人の不幸話か、共感性の高いものしか見ない
まだ10代だった私が、一日数百アクセスがある個人サイトを作りそのアクセス数を維持し続けられたのは、一重にこの持論があるからだと思っています。
元より人様に有益なものを提供できる頭などないことは自分が一番よくわかっていたので、個人サイトのブログには初カノのさやかちゃんに片思いしていた記録、いじめられっ子として体験した出来事など、日々のしんどい思い出を書き綴っていました。
これは「他人の不幸話」が大好きな人からすれば日々些細な理由で虐められる中学生の日常を垣間見れる良いコンテンツだったかもしれませんし、同じ同性に恋する女の子等からは「共感性」がある投稿があったかもしれません。
当時は意図して行っていた訳ではありませんが、そういった日記を書き続けることで数百アクセスを維持するサイトを運営することが出来ました。
メンヘラ日記サイトがTwitterに変わっただけ
さてさて、ろくに友達も作らずネットの住人とばかり仲良くなっていた中学生時代の私と今の私、一体何が違うのでしょうか。
実は、特に何も変わっていません。
当時運営していたメンヘラ日記サイトがTwitterに変わっただけです。
お仕事用Twitterアカウントを作ってまず初めに行ったのは「有名人のTwitterを検索する」ことです。
めちゃくちゃ簡単だけどめちゃくちゃ大事なことだと思っています。これをやることで、広く一般の人達が何を求めているのかがわかります。
キャバ嬢、ホストというご職業の方でフォロワーの多い人は「キラキラした日常」。
有名ツイッタラーは「キレのある面白ツイート」。
メンヘラアカウントはTwitterにメディアが変わっても「お薬障害者手帳マウント」。
自分はどういった方向性でツイートすれば一番フォロワー数を伸ばせそうか吟味し、最も向いているスタイルを精査して、自らの個性をふまえて自分なりに発信していく。
そうやってTwitterを運用しているうちに自然とフォロワーの数は増えていき、1,000人を超えた頃にはお店自体の知名度も安定したものとなっていました。
シャンパン飲みたいって言ってみる、そして夢を語ってみる
こうして徐々にフォロワーを増やしながら、有り難いことにお店の売上も何とか更新し続けています(まあコロナが一番猛威を振るった月は一ヶ月半お店を開けられず、大赤字で貯金を切り崩して生きていた時期もありましたが)。
東北のレズビアンバーにおける年間個人売上がずっと1位なのは、Twitterで「シャンパンが飲みたい」と素直に言っているからだと思います。
〈▲編集部注:楽園最高額のチップケースでシャンパンボトルを挟むという大人の遊び…こちらもエースのお姫様が入れてくれたものだそうです。チップは当然シャンパンと違って酔うことはできませんが、お姫様曰く「推しを潰さずに単価を上げられるなんて一番いいじゃん」とのこと。さすがです! ちなみにこの日のお会計は20万円近くだったそう。〉
私のツイートって、基本的に自分のオタクに向けて伝えていることを書いているだけに過ぎないんですよね。
「伝票はラブレター」とか「二桁からがヒロコ推し」とか「無課金で推しに会うな」とか。
だから、そういった思考に共感を覚えるタイプの人がお店に来て私を推してくれるし、そういう営業が苦手な子は元々私の元に来ません。
素直に発信することで私は自分の主義主張にはじめから共感してくれているお客様とTwitterというツールを通じて出会うことができ、そうして来店してくれたお客様は「Twitterに書いていたので」と自らシャンパンを入れてくれます。
〈▲編集部注:楽園で初めて頂いたというエンジェル(1本12万円!)をはじめ、モエピカ、モエアイスなど高額ボトルと共に。最近お店に来てくれた「次世代エースちゃん」と呼ばれているお姫様からのシャンパンだそうです。〉
私はヒノヒロコという名前でお店に立つ人間である以上一番でいたいし、一番でなくちゃいけません。
この楽園と言うお店を作り、そして沢山の女の子達を雇う立場にあるからには、私はその子達にとってついていきたいと思えるべき人間でいなくてはならないのです。
お店にいる従業員達からすれば、自分より売上がないオーナー、自分より下の女の言うことを聞こうなんて思えないはず。
だから私はお店にいる間はずっと一番を取り続けられるよう全力で飲むし、盛り上げるし、笑って帰ってもらえるように頑張ります。
私の夢であり目標である「一番でいなくてはならない」という思いに共感してくれたお客様達が、私が「ヒノヒロコ」であり続ける為にお金を使ってくれるんです。
私が単価を上げられない時も「今日コスパ良いね」などと自分から煽ってすすんで単価を上げてくれる私のお客様。
こんなにも良くしてくれるお姫様方に恥じないよう、私も最高の時間を提供する為の努力は惜しみません。
私の夢に共感して応援しようと思ってくれたお客様がいる限り、私はヒノヒロコで居続けられるし、有り難いことにシャンパンが開き続けるのだと思います。
自分の夢にそぐわない人間になってしまったその時には、迷わず自分のお姫様に殺してもらおうと思う位腹を決めて、今日も私は楽園で一人でも多くのお姫様を笑わせられるように頑張っています。
(次回に続く)
ヒノヒロコ 1992年生まれ。レズビアン。
東北芸術工科大学大学院芸術総合領域修士課程修了。
★レズビアンバー楽園を経営しながら東北三大ウーマンオンリーイベントの内の一つ、LADY EDENのオーガナイザー兼ダンサーとしても活躍中!
★自身のバースデーでは一夜にして東北初の200万overの記録を打ち立て、「3桁の女」の異名を持つ。
仙台・国分町唯一!レズビアンバー「楽園」公式HP
「楽園」
住所 :宮城県仙台市青葉区国分町2丁目8-3
営業時間:19:00~LAST