好きなプロ野球の球団は「存在しない」著者による映画レビュー。
今回はフォーラム仙台で2025年10月30日まで上映中の「さよならはスローボールで」です。
今の映像を見ればわかる。以上。
……としたいくらいの映画である。これだけで響く読者(多分野球経験者で、野球そのものが好きな人)は、観ることをお勧めする。そうでない方のために、この文章を書く。
中学校建設のために取り壊される野球場で草野球の試合が行われる。それは彼らにとって最後の試合で……おじさんたちが草野球をやっているだけ、というと身も蓋もないが、要約すると本当にそれだけの映画になってしまうのだ。
しかし、(当然ながら)この映画の最も大きな魅力はそこではない。
というのも、この映画は妙に心地良いのだ。はっきり言ってスーパープレーもない(経験者であれば、どちらかといえば下手な方に入るのはすぐわかってしまうだろう)し、劇的なアクションもないし、ストーリー上のどんでん返しもないし、目を見張るような映像効果もない。しかし、確かに流れる時間と、すぐそこに実在していそうな人間模様と、まるで自分がそこにいて、楽しんでいたかのような錯覚がある。また、製作者が野球というスポーツを心から愛していることが伝わってくるのも、重要な要素かもしれない。
この映画は試合前から試合後まで、親密な(時に親密すぎてやや粗野な)語りに満ちている。その中で、彼らにも様々な立場があり、状況があり、事情があることがわかってくる。そして、そういったことに関係なく、あの手この手でプレーを楽しみつつも純粋に楽しむことがどれだけ貴重か、がひしひしと伝わってくるのだ。
ある種の比喩として、この試合をみることも可能だ。試合は進み、そして終わる。それは時間の経過とは関係なく。まるで人生(趣味、仕事、など人間にまつわる活動の何を当てはめても成り立ってしまう)を表しているようだ、と言ってしまうのは野暮だろう。単に今を楽しむこと、野球の試合(自分に当てはめるとそれはなにか、を考えてもいい)の楽しさ、それが全てなのだ。
そしてこの映画において一番の、忘れ難い部分がある。
ある男が野球場に一番乗りするところからこの映画は始まり、そして彼が去ることで幕を閉じる。
まさに彼(プレーヤーではない彼)こそが、この試合にとって一番重要な存在だと言わんばかりに。
いろいろと書き連ねてきたが、こんな解説が似合わない映画であることも事実だ。肩の力が入らない、それでいて心のさまざまな場所に響いてくるような、なかなかに得難い映画だった。
余談:「日本」という単語が出てくるシーンが一つだけあるのだが……と思ってしまったのは否めない。

 




