地下道-3150みなおしウィーク!
こんにちは。ウラロジ仙台編集部の佐々木かいです!
2022〜2023年10月にウラロジ仙台が青葉通地下道で主催してきた「地下道-3150」。2024年度はマーケットやイベントとして現地開催はいたしません。とある事情により青葉通地下道が使えないことが判明し、イベント開催を断念いたしました。そこで、会場の「地下道-3150」に込めてきた想いや、青葉通地下道にまつわる話題を掘り下げてお届けする「地下道-3704(みなおし)」企画を展開しています。
そもそも青葉通地下道って?
今回は、そもそも青葉通地下道とはどのように生まれ、変化し、今に至るのかという「歴史」をひも解いてみました。地下道をよく利用するという方も、思い出をお持ちの方も、通るたびに出口を間違えるという方も、全く知らないという方にも「プチ現代史」としてお楽しみいただける内容となっているはずです!

夜の青葉通地下道出入口(2024年11月撮影)
伸び盛りの街に生まれた地下空間
青葉通地下道は、仙台市中心部の青葉通と東二番丁通という2つの大きな通りの交差点の真下に設けられた空間です。1991(平成3)年9月に開通しました。
世界では「ソビエト連邦の崩壊」という大事件が起き、日本ではバブル景気が終わりを迎え、平成不況の足音が聞こえてきた頃です。とは言え、巷では小田和正の『ラブ・ストーリーは突然に』やCHAGE and ASKAの『SAY YES』などがヒットし、派手な扇子を片手にお立ち台で舞い踊る「ジュリアナ東京」の全盛期……と聞くと、好景気のムードは続いていたのではないでしょうか?
当時の仙台市もノリノリでした。元号が平成に改まり、市制100周年を迎えた1989年、仙台市は人口約90万の政令指定都市となりました。人口も右肩上がりで増えていき、街は伸び盛りの状態でした。
青葉通地下道開通(1991年)前後の仙台市の出来事
1987年 | ・地下鉄南北線富沢〜八乙女間開業 ・宮城町を編入 ・NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』視聴率39.7%を記録。 |
1988年 | ・泉市、秋保町を編入。 |
1989年 | ・東北初の政令指定都市になり、5つの区が誕生。 |
1990年 | ・青年文化センター、新科学館、こども宇宙館開館。 |
1991年 | ・仙台サンプラザ、広瀬文化センター、仙台国際センター開館。 ・第1回仙台ハーフマラソン大会開催。 |
1992年 | ・地下鉄南北線、泉中央駅まで延伸開業。 |
この頃深刻だったのが交通渋滞です。急速に拡大する市街地をバスや鉄道ではカバーしきれず、市内の道路はマイカーであふれかえりました。青葉通と東二番丁通も交通量がとても多く、激しい渋滞が起きていたようです。また、どちらの道幅も広いため、歩行者が渡り切るには時間がかかっていたことも想像されます。近くには東二番丁小学校もあることから、事故の心配もあったことでしょう。

青葉通・東二番丁通の交差点(2024年12月撮影)
待ち合わせにも使われた噴水広場
主に交通の問題を解決するために作られた青葉通地下道ですが、その機能は単に通路としてのものだけではありませんでした。
象徴的なのは、交差点の真下に設けられた「コミュニティー広場」です。広場の中央にはシンボルとして、円形の噴水が設置されました。噴水はライトアップされ、周囲は花壇で彩られていたそうです。地下通路と言えば「狭くて暗い」イメージだった当時、水と緑、そして光で溢れていた青葉通地下道は画期的だったことでしょう。今でも壁面にはパブリックアートが飾られ、ガラスケースでは地域の情報などが発信されていますね。なお、足元の敷石には、仙台市電(1976年廃止)の路盤に使われていたものもあるそうです。
開通翌年の国の資料には、「広場を待ち合わせに使っている」という女性の声も紹介されています。確かに、天候に左右されない場所なので、待ち合わせには良さそうです。携帯電話の普及率も低かった当時、公衆電話が置かれていたこともポイントだったのではないでしょうか。
私(1990年・太白区出身)も子どもの頃、習い事の帰りに噴水の前のベンチで親を待っていたのをかすかに覚えています。あの頃は、近くのサンモール一番町にあった丸善(2002年、アエルに移転)や金港堂本店(2024年閉店)で本を買ってもらうのが楽しみだったなあ。しみじみ。
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広場の中央にあった噴水(2007年3月撮影・仙台風景写真館様提供)
不況の陰で姿を消した噴水
開通からしばらくは、単なる通路の機能だけでなく、市民の憩いの場にもなっていた青葉通地下道。しかし、時代の変化は地下道の様子にも少しずつ影を落とすようになります。
バブル経済の崩壊後、1990年代から2000年代にかけて日本経済は深刻な不況に陥ります。仙台市では人口こそ増え続けていましたが、市内でも有名企業や銀行の経営破たんなどが相次ぎました。不況が長期化するにつれ増加したのが、様々な理由で路上生活をする人たちです。地下道はこうした人々にとって、夜間でも寒さや雨風をしのげる、比較的安全な場所です。ベンチが大きな荷物で埋まることも多くなりました。
シンボルの噴水もまた、様相を変えていきます。『河北新報』によると、仙台市は2008年、噴水が洗濯に使われるようになったことを理由に止水。その後も中に荷物を置かれるようになったことや、長期間の停止で配管がさび付いたことなどから再開を断念し、2018年にはフェンスで封鎖されてしまいます。
そして、水が流れなくなってから約13年が経った2021年の冬。噴水はひっそりと、完全に撤去されてしまいました。
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封鎖された噴水(2020年4月撮影・仙台風景写真館様提供)
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撤去工事中の噴水(2021年12月撮影・仙台風景写真館様提供)
私の記憶では、2000年頃を最後に、地下道で待ち合わせをしたことはありません。それどころか、この辺りには頻繁に足を運んでいたにも関わらず、噴水が止まっていたことにもしばらく気づきませんでした。無意識のうちに、「足早に通り過ぎるだけの場所」、「できれば通りたくない場所」になっていたのかもしれません。
再び閉ざされた広場
噴水が撤去された青葉通地下道の広場は、2022年に封鎖が解かれ、イベント会場などとしての活用を目指す空間に再整備されました。同年10月には、青葉通まちづくり協議会の青葉通沿道利活用を考える社会実験にて青葉通地下道にもワークスペースが設けられました。これが青葉通地下道の広場利活用・第一弾です。
その後に続くように、ウラロジ仙台が「人と違う自分でありたい人、人と違っていいのか悩む人。誰もがのびのびと『好きなモノ・コト』を愛せる地下の小さなマーケット」をコンセプトに掲げたイベント として、「地下道-3150」を初めて開催しました。
【2022年10月・主催イベント情報】宮城・東北で「人と違う自分でありたい」「人と違っていいのか悩む」少数派がのびのび過ごせる小さなマーケット「地下道-3150」【仙台 青葉通地下道】

「地下道-3150」開催時の広場(2023年10月撮影)
翌2023年には、青葉通まちづくり協議会による沿道利活用に向けた社会実験でストリートピアノ設置、ウラロジ仙台の「地下道-3150」も第2回を開催することができました。
しかし、新たなスタートを切ってわずか2年後の2024年秋、広場は再びフェンスで封鎖されてしまいました。記事公開日時点で、封鎖が解かれる見通しは立っていません。

フェンスに覆われた広場(2024年12月撮影)
地上は変わる。地下はどうなる?
ここまで、青葉通地下道の開通からの変化について、かつて噴水のあった広場を中心に見てきました。一方、地上の風景も時代とともに変化を続けています。四つの角のうち、開通当初は銀行(旧日本長期信用銀行)が支店を構えていた南西角は、アウトドアショップ「モンベル仙台店」となりました。店の前のガーデンは都会のオアシスとして親しまれています。同じく銀行(旧富士銀行)などがあった北西角は再開発され、2007年にオフィスと商業施設の複合ビル「仙台ファーストタワー」が建てられました。

「モンベル仙台店」の入るビル(白い建物)と高層の「仙台ファーストタワー」(2024年12月撮影)
今後、最も大きな変化が予想されるのが北東角にある「読売仙台ビル」です。2025年2月末で核店舗の「イオン仙台店」(地下道開通当初は「ダイエー仙台店」)が閉店し、ビルの動向が注目されています。私は未だに「ダイエー」と言いそうになりますが、イオン仙台店は集客力の高い商業施設だったので、青葉通地下道や周辺の人通りにも影響を及ぼしそうです。開通当初の様子を残すのは、南東角の七十七銀行本店ビルのみ、ということになります。

2025年2月末で閉店する「イオン仙台店」
より広い目で見れば、街はさらに大きく変わり続けています。地下道が開通した1991年当時、仙台市の商業の中心は西側の一番町エリアでした。しかし、近年は商業施設などのJR仙台駅周辺への集中が進んでおり、駅東口の発展もあって、にぎわいの重心が東へ移動しているとも指摘されています。
東西の移動という意味では、2015年に開業した地下鉄東西線の存在も、周辺の人の流れに大きな影響を与えたと考えられます。青葉通地下道は地下鉄東西線青葉通一番町駅やJR仙石線あおば通駅といった周辺の地下駅とも接続しておらず、一帯の歩行者ネットワークという観点では独立した存在です。歩行者の動線としては少し使いづらさも感じられ、だからこそ、人々の集う「広場」の機能を活かす時なのかもしれません。しかし、広場は再び封鎖されてしまいました。
これは私の個人的な考えですが、これから地上の風景や人の流れも変わりゆく中で、地下道はますます人々の意識の周縁に追いやられてしまうのではないかと心配しています。このまま文字通り都市の「アンダーグラウンド」として忘れ去られていくのか、それとも新たな役割や存在価値を問い直すことができるのか。開通1年前に仙台で生まれた私は、「同年代」である地下道の行く末を気にかけています。
参考文献
一般社団法人日本レコード協会「ゴールドディスク認定」
https://www.riaj.or.jp/f/data/cert/gd.html
仙台市「仙台市のあゆみ」
https://www.city.sendai.jp/sesakukoho/shise/gaiyo/profile/ayumi.html
NHKアーカイブス「独眼竜政宗」
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010722
国土交通省「2004道路整備効果事例集」
https://www.mlit.go.jp/road/koka4/3/3-19.html
せんだい・みやぎミュージアムアライアンス「せんだい見験図鑑(2版目)https://www.smma.jp/wp/wp-content/uploads/2021/03/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%9F%E3%82%99%E3%81%84%E8%A6%8B%E9%A8%93%E5%9B%B3%E9%91%91%EF%BC%88%EF%BC%92%E7%89%88%E7%9B%AE%EF%BC%89%E5%B0%8F.pdf
丸善ジュンク堂書店「経営理念・沿革」
https://corp.maruzenjunkudo.co.jp/philosophy_history/
河北新報オンライン「仙台・青葉通地下道内の噴水、市が撤去へ 2008年から止水状態、修繕費など考慮」(2021年1月4日付)
https://kahoku.news/articles/20210104khn000012.html
仙台Today@仙台風景写真館「平成懐かし写真《特別版》青葉通地下道の噴水・2007」https://today.sendaipics.com/2020/05/02/post-2398/
仙台話題の現場@仙台風景写真館「青葉通地下道での噴水の撤去作業が始まりました・2021年12月https://wadai.sendaipics.com/2021/12/05/post-11066/
中央日本土地情報グループ「仙台ファーストタワー」
https://www.chuo-nittochi.co.jp/business/rent/office/3639.html
河北新報オンライン「イオン仙台店が来年2月末で閉店 「今後については検討中」テナントも順次撤退、読売ビルは大半が空室に」(2024年10月12日付)https://kahoku.news/articles/20241011khn000079.html