堅物記者の無茶ぶりクエスト #8-4【仙台三十三観音逆打ち巡礼 若林春秋編】

おでかけ

チャレンジクリエイター名鑑No.2でご紹介した、フリーライター・佐々木かいさん。

真面目でお硬いイメージを払拭し、苦手としている主観的な発信に挑戦していきたい……!というかいさんのやっぱりどこか真面目な思いを受けまして、ウラロジ仙台では、かいさんへの無茶ぶり企画「無茶ぶりクエスト」の連載をスタートすることになりました。

無茶ぶりクエストとは
ウラロジ仙台編集部から課された若干無茶なお題・ミッションのクリアを目指し、その過程をコラムにして提出していただくという連載企画。佐々木かいさんの「苦手分野にも挑戦していきたい」という心意気を応援するものであって、決して彼が突然の無茶ぶりに右往左往する様を見て楽しみたいとかそういうことではありません。
セブンイレブンアプリの「バッジ機能」サービスが終了したことにかこつけて、編集長とその手先・編集Sから「仙台三十三観音を巡ってくる」という無茶ぶりを受けたかいさん。
前回は突然の牛歩巡礼を繰り広げることになってしまいました。あれからかいさんではなく季節が巡り、なんと年まで明けましたが、その分今回の巡礼の旅ルポは盛りだくさん!歴史や伝承の解説もたっぷりでお届けします。多忙な中でも素晴らしい記事に仕上げてくださったかいさんに感謝しつつ、今回もぜひお楽しみください!

23番札所
松音寺
古城の面影を伝える凛とした境内

前回は薬師堂エリアの2か所しか巡れなかったので、今回は少し駆け足で進みましょう。

まずは23番札所の松音寺です。地下鉄東西線の連坊駅から北に5分ほど歩いたところにあります。仙台駅東口からぶらぶら20分ほどかけて歩いて行くのもおすすめです。

仙台市内には「伊達家ゆかりの寺」がいくつもありますが、松音寺は伊達藩主の菩提寺として室町時代後期に福島県伊達市(伊達家発祥の地)で建立されました。寺のHPによると、伊達政宗が仙台を開府した際に移ってきたそうです。藩政時代は仙台藩内の宗教行政を司る役を任じられ、「曹洞伊達四大寺」に数えられていたと言います。

参考:五峰山 松音寺

実は前回24番札所の国分尼寺を訪れた後、松音寺にも足を運んでいました。ところが、その時はちょうど大きな葬儀が営まれているところでした。さすがに訪問を遠慮し、1ヶ月ほど後に再訪しています。

と、巡礼が滞っていた言い訳を試みていますが、では、一体いつ訪れたかと申しますとですね……。

境内に、桜が咲いている!?

……まあまあ、細かいことはいいじゃないですか。

参道のゆるやかな曲線と桜の木、そして山門の取り合わせに風情を感じます。桜の盛りは過ぎていましたが、ゆったりとお花見を楽しむ人の姿が見られました。周辺はしっかり住宅密集地なのですが、広い境内には別の時間が流れているかのようです。

お地蔵さまにシダレザクラがよく似合っておられます。

立派な山門の奥に本堂が見えてきました。

ここで注目していただきたいのは山門のほうです。左手に「若林城門」と書かれているのがお分かりでしょうか?

つまり、この門は「若林城」というお城から移されたものなのです。

若林城は、現在の若林区古城にあったお城です。仙台城が築かれた5年後の寛永5(1628)年に「屋敷」として造られたのですが、その主は伊達政宗でした。

「え、政宗公はずっと仙台城に住んでいたのでは?」と思われるかもしれませんが、実は亡くなるまでの約8年間、公的な行事などがない日は主に若林城で過ごしていたと言われています。ウーム、確かに仙台城は急斜面に築かれたから、日常生活を送るなら平坦な若林区のほうが便利だよなぁ……と、仙台城の裏山に住んでいる私は共感せざるを得ません。

なお、現在は宮城刑務所などの敷地となっています。特定の公開日を除いて、一般の人がふらっと立ち入ることはできないのでご注意ください。

参考:若林城・いまむかし

若林城は政宗の死に伴って廃され、周囲も寂れてしまっていたようです。明治になってから、火災に遭った松音寺が移転、再建する際に、山門も移築されたと言われています。

仙台城は「大手門」などほとんどの遺構が失われてしまいましたが、政宗が日常を過ごした地の門がこのような形で残っていることに驚き、感慨を覚えました。

本堂の前には「枯山水」がありました。精細な波模様は見事としか言いようがありません。どこを切り取っても凛と美しい境内に癒やされていますが、本来の目的は仙台三十三観音巡りです。そろそろ観音堂にお参りしましょう。

こちらが、「如意輪観音像」が収められている観音堂です。白を基調に青緑色(碧色、というのでしょうか)の扉とのコントラストが印象的で、その佇まいから「青磁」を連想しました。

なお、「仙台三十三観音霊場」が成立した当時は、近隣のお寺が管理していたのだそうです。後年、松音寺に引き継がれて今に至ります。

失礼ながら、観音様を撮らせていただきました。ぼんぼりに照らされて浮かび上がる如意輪観音像に、扉の鮮やかさがよく映えています。このような色の取り合わせは今までに見たことがなく、とても印象に残りました。

訪れたのは土曜日でしたが、平日の日中に参拝すると、本堂で御朱印をいただけるみたいですよ。見どころが多く、境内を散策するだけでも心地よくなれるお寺なので、ぜひ訪れてみてください。

22番札所
保寿寺
線路端にひっそり佇む古刹

次に向かったのは、保寿寺です。場所は少しわかりにくいのですが、連坊小路の「むにゃむにゃ通り商店街」とJR線が交差する付近から細い道に入ってしばらく進んだ辺りにあります。むにゃむにゃ通り商店街と言えば、「無茶ぶりクエスト」初回の舞台です。

堅物記者の無茶ぶりクエスト #1 【むにゃむにゃ通り】

保寿寺の歴史は古く、文安元年(1444)に、当時この地を治めていた国分氏が開基したと言われ、泉区山の寺にある洞雲寺の末寺にあたるそうです。こうして見ると小さなお寺のようですが、明治期に鉄道を通すにあたって境内が大幅に狭くなったとのこと。

参考:寺めぐり「連坊・木ノ下あたり」

と、保寿寺にたどり着いたはいいのですが、肝心の観音堂を発見することができませんでした。小さな境内ゆえに、あまりうろつくわけにも行きません。今思えば本堂を訪ねてお寺の方にお話を伺えば良かったのですが、この時は気力が足らず……。いけませんね。

見えない観音堂を思い浮かべつつ、門前で合掌しました。

21番札所
瑞雲寺
「現代俳壇の彗星」青春の地

21番札所の瑞雲寺は、23番札所の松音寺にほど近い、連坊小路の交差点の北にあります。

文安元(1444)年に山形県米沢市に瑞巌寺という名で開かれ、岩出山(大崎市)を経て現在地に移ったとのこと。政宗と共に変遷をたどってきたお寺なのですね。

さらに慶長11(1606)年、政宗が松島の円福寺を「瑞巌寺」としたときに、今の瑞雲寺という名前に改められたそうです。松島の瑞巌寺はあまりにも有名ですが、この瑞雲寺は「元祖・瑞巌寺」ということで合っていますか?

とにかく、とても由緒あるお寺に違いありません。

参考:寺めぐり「連坊・木ノ下あたり」

観音堂もとても大きく、風格があります。

慈覚大師(円仁、794〜864)の作といわれる如意輪観世音がまつられており、地元では安産祈願で知られているそうです。

ところで、境内の一角に気になる石碑を見つけました。

どうやら「芝不器男(しば・ふきお)」という人物について書かれているようです。

読んでいくと、明治36年に現在の愛媛県松野町で生まれた不器男は、東北帝国大学(現在の東北大学)工学部機械工学科で学んだ際、ここ瑞雲寺に寄宿していたとのこと。

ろじうさ
ろじうさ
<芝不器男とは>
・東北帝国大学在学中から「天の川」「ホトトギス」などに俳句を投稿。
・「あなたなる 夜雨の葛の あなたかな」を高浜虚子が絶賛。
・帰郷し結婚するも、病に倒れ、26歳の若さで死去。

石碑は故郷の方が不器男を偲んで建てたもののようですね。ちなみに、変わった名前のように見えますが全て本名。「芝」はこの辺りに多い苗字らしく、お笑いコンビ「モグライダー」の芝大輔さんも松野町出身です。

東北帝国大学に学び仙台で青春を送った文人と言えば、島崎藤村や魯迅がよく知られています。しかし私は恥ずかしながら、不器男の名をこの石碑で初めて知りました。

短い生涯で詠まれた句の数々は句集に残され、「青空文庫」でも閲覧することができるので、ぜひ味わってみて下さい。

余談ですが、実は不器男の生まれ育った松野町を訪れたことがあります。数年前に一人で四国を旅した際、本当に何となく降り立ち、生家のある松丸地区も散策しました。確か淡水魚の水族館が気になって足を運んだはずですが、水族館のことは正直よく覚えていません。ただ、山々に囲まれた静かな町の居心地はとても良く、どこまでも澄み切った川のほとりで1時間くらいボーっとしていた記憶があります。

松野町を流れる広見川は、清流として有名な四万十川の支流です。

とても良い所だったものの、仙台で松野町と聞いてピンと来そうな人はほとんどいないので話す機会もなく、心の片隅にしまっていた記憶でした。まさかこんな形で思い出すことになろうとは。仙台三十三観音のつないだ御縁なのかもしれません。

20番札所
円福寺
歴史に名を刻んだ2人の女性

 

堅牢そうな円福寺の山門と本堂

まだまだ若林区のお寺巡りは続きます。
次は連坊界わいから少し離れた石名坂にある円福寺です。地下鉄愛宕橋駅・河原町駅から5分ほど歩いたところにあります。
お寺と言えば木造の古めかしいイメージも強いと思うのですが、ここ円福寺の建築はとても近代的で堅牢そうな外観です。

円福寺は天正年間(1573~1619)に、利府町にあった天台宗の廃寺を再興して開山したと言われています。曹洞宗で、太白区緑ヶ丘一丁目にある龍澤寺の末寺だそうです。

ルーツである利府との関わりは、御本尊の「堊玉(あくたま)観音」に最も表れています。伝説によれば、平安時代に征夷大将軍として奥州東征をした坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の母とも側室ともいわれる利府の長者の娘「堊玉姫」の護持仏が移されたものなのだとか。

寺めぐり「荒町・河原町あたり」

観音堂もとても堅牢そうです。

坂上田村麻呂をめぐるエピソードについては、東北各地にさまざまな説が伝承されています。「堊玉姫」は本当に利府の長者の娘なのか、田村麻呂に関係のある人物だったのかも含め、今回の執筆にあたって裏付けとなる資料を見つけることはできませんでした。

なお、田村麻呂は「伝説の武人」と称賛され、明治期にかけて神格化されてきました。だからこそ言い伝えが各地に残され、それを紐解く面白さもあるのですが、「征夷」された側の東北地方に住む者として「ちょっと複雑な気持ち」も持ち合わせているのが正直なところです。

さて、円福寺を語る上でもう一人の重要な女性が「石名(いしな)」です。そう、この辺りの地名「石名坂」の由来になった人で、境内には碑が建てられています。

ここで、ウラロジ仙台マニアの方は「あれ?この話、どこかで聞いたような」と思ったかもしれません。実は2024年秋、「青葉通りで遊ぼう」第2回のクイズ企画の賞品(書いてほしい記事リクエスト)として編集長・Sさんが「河原町周辺民俗学ピクニック」を敢行した際、お二人が参拝していました!

【愛宕橋・河原町・長町エリア】知ることを畏れるな!仙台市・河原町周辺で民俗学ピクニック【縛り地蔵から蛸薬師まで】

石名はどんな人だったのか、あらためておさらいしましょう。彼女は江戸初期に吉原で名を馳せた花魁(おいらん)でした。吉原の花魁と言えば、2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』を思い出す方も多いはず。主人公・蔦屋重三郎の幼なじみで、大名跡「瀬川」を継いだ花魁を小芝風花さんが演じて話題になりました。

石名は円福寺の近くで生まれたとされ、ドラマで描かれたよりも前の時代に活躍したようですが、こちらも今回の執筆に際して詳しいことはわかりませんでした。ただ、寺には石名の死後、追善供養のため吉原の楼主や遊女たちが奉納した大般若経600巻が保存されているということで、多くの人に慕われていたことが想像できます。

私も編集長・Sさんコンビと同じく、取材後に知ったんですけどね

観音堂を参拝の際、石名にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

(鯉もいるよ!)

19番札所
皎林(こうりん)寺
路地の奥の静かな禅寺

次に向かったのは19番札所の皎林寺です。地下鉄五橋駅から荒町商店街を東に進み、ツルハドラッグや荒町郵便局を過ぎたところにある角(喫茶結香珈さんの前)を左に曲がった先にあります。地元の方であれば、荒町のシンボルとなっている「毘沙門天」のお隣と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

荒町の路地はどこもそそられる所ばかりです(東九番丁通り)

素朴ながら存在感のある山門

慶長19年(1624)開山で、禅寺として知られているそうです。本堂は大正時代の建物なのだとか。ちなみに、境内は北側にある22番札所の保寿寺と隣接しています。

シダレザクラの下にある観音堂

観音堂は立派な瓦葺きが印象的です。ここにまつられている千手観世音菩薩は別名「飛観音」と呼ばれ、その昔、近くの三百人町に住んでいた人の所に「どこからか飛んできた」ものと言い伝えられています。

一体、千手観音はどんな風に飛んできたのでしょうか?たくさんある手を羽根のようにして羽ばたいてきたのか、ロケットのようにいきなり着弾したのか、今となっては知る由もないことですが気になります。

そう言えば、観音堂と一緒に写っているシダレザクラは葉が黄色くなりつつあるので、訪れたのはどうやら秋も深まりつつある頃ですね。
おや?この記事で最初に訪れた23番札所、松音寺では桜が咲いていたような……?23番から19番に来るまでに、いったい何ヶ月かかっているのでしょうか。

なお、境内には「天笛(てんみょう)幼稚園」の建物があります。県の資料によると、2010年から休園状態らしく、面影はかわいらしい象のマークくらいです。

そして最後に、お寺の近くにあるグルメ情報をお届けします!荒町商店街と言えば最近はラーメン激戦区としても知られるようになりましたが、今回ご紹介するのは和スイーツ。東九番丁通り沿いにあるだんご茶屋あらまち永藤本舗さんです。取材当日は皎林寺の事前情報が乏しかったので、地元の方への聞き込みも兼ねて訪れました。

だんご茶屋あらまち永藤本舗
所在地:
仙台市若林区東九番丁145 プレジールオブ荒町1F

この日いただいたのは「ずんだ」です。やわらかくほんのり甘みのあるお餅に、たっぷりのずんだ餡からお豆の香りがフワッと口いっぱいに広がって……とにかく最高でした。

お店を営むご夫婦のお人柄もとても素敵で、店内に腰掛けて「お茶っこ」を楽しむことができます。(飲み物は外の自動販売機でお求めください!)
ちなみに、お昼前に訪れたにもかかわらず、だんごは最後の1本でした。相当な人気店だと思われますので、確実に味わいたい方は早い時間帯の来店がおすすめです。

さて、小腹も満たされたので次の札所に向かいましょう!どれどれ、18番札所の光寿院、17番札所の阿弥陀寺、16番札所の成覚寺、そして15番札所の愚鈍院は、どれも新寺3丁目の一角にあるのですね。これならすぐに巡れるし、一気にペースアップするチャンス!

それにしても、外は寒いですね。

……巡礼の旅を続けるのは、また今度にしておきましょう。

参考文献

NPO法人楽遊ネットワーク宮城『仙台の三十三観音巡り専用御朱印帳』https://nporakuyou.web.fc2.com/

仙台市若林区|寺めぐり「荒町・河原町あたり」
https://www.city.sendai.jp/waka-katsudo/wakabayashiku/machizukuri/miryoku/terameguri/aramachi.html

仙台市若林区|寺めぐり「連坊・木ノ下あたり」
https://www.city.sendai.jp/waka-katsudo/wakabayashiku/machizukuri/miryoku/terameguri/kinoshita.html

仙台市若林区|「若林城・いまむかし」
https://www.city.sendai.jp/waka-katsudo/wakabayashiku/machizukuri/miryoku/wakabayashijo.html

愛媛県松野町「芝不器男記念館」
https://www.town.matsuno.ehime.jp/soshiki/10/1212.html

宮城県「設置・廃止等学校一覧」
https://www.pref.miyagi.jp/documents/17555/111859.pdf

自分が行ったことのある場所が出てくると嬉しい

かなり久々の更新となった無茶ぶりクエストでしたが、いかがでしたでしょうか?

今回は私が以前訪ねたことのあるお寺もいくつか掲載されていて、見る人が違うとこうも印象が変わるのかと驚きました。特に円福寺はこの仙台三十三観音巡礼クエストのアイデアが生まれた場所でもあり、あの日から今まで企画が続いていることに感慨深さすら覚えます。編集長と鯉のいる池を見たのが懐かしいな~!
読者の地元や所縁のある場所・施設が頻繁に登場するのもローカルメディアのよさのひとつだと思っているのですが、まさにそれを体現するような回になりました。
今回は市街地にあるお寺が多く取り上げられています。街中のお寺はアクセスも良好なので、気になる方はぜひ足を運んでみてください。

冬の仙台はそもそも寒すぎて巡礼の旅の実行が困難であるということもあり、次回まではまたそれなりに日が空く予定です。が、今後もゆっくりとではありますが着実に巡礼の旅は続きます。雪解けのその日まで、皆様こたつでみかんなど食べながらのんびりお待ちいただけますと幸いです!

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著者紹介

佐々木かい(ささき・かい)

フリーの聞き手・書き手。1990(平成2)年、仙台市生まれ。地方新聞社の記者、社会福祉法人の広報職などを経て現職。主に地元企業の人材採用や情報発信のお手伝いなどに面白さを感じています。【急募】仕事と同じくらい楽しいこと【服装自由】

 

執筆:佐々木かい
編集:S