ShimMyanは今、どこで何をしているのか
読者の皆さんはウラロジ仙台編集部のShimMyan(しんめい)の行方についてご存じだろうか。
そうそう!この人、この人!
「あとShimMyanさんに会えたらウラロジ仙台のスタンプカード※が全部埋まるのに」
「最後の担当記事2023年じゃねえか!」
「本当に存在してるの?編集部メンバーがいてほしいと願っているイマジナリーフレンドなのでは?」
ふんわりと、そんな風に思っている読者の方もいらっしゃるかもしれませんね。
※「ウラロジ仙台編集部との遭遇」というスタンプカードが存在します。編集部メンバー全員からサインorスタンプを貰い、全部埋まったら何かもらえるかもしれないという制度です。今後も対面イベントでばら撒いていくので集めてみてください!
▲件のスタンプカード
▲2025年現在のウラロジ仙台編集部メンバー一覧
以下はウラロジ仙台編集部の読者へのキャラクター露出度を可視化した、たいへん適当な図です。

(はちゃめちゃ適当な図ですが)なんとShimMyan、2022年加入にも関わらず後輩たちにイベント参画率、コンテンツ制作率が抜かされつつあります。というのも、2025年現在は都内在住かつ、研究で大忙しなのです。

しかしながら、雑談ロビーではずっとたむろしているという謎のポジションを確立しつつある。
ただ、ウラロジ仙台編集部でここ数年何もやっていないかと言われていたらそれは別で、WEBページの構築などシステム周りに弱いメンバーはいつもShimMyanに助けられています。なんなんだろう、この人。
今週はそんな謎のメンバー・ShimMyanから怪文書(近況報告)が届きましたので、ぜひご覧ください。
私(ShimMyan)は何をしていたのか
泡沫の夢だろうか、何か悪い嘘なのだろうか。私はここ一年ほど全くウラロジ仙台で記事も書いておらず、仙台にもほぼいないのでプロジェクトにも参画していなかった。ただモノを書くのは好きなのになぜか何も書けず、オンライン上でも可能だったはずのなんらかの貢献ができずにいたのか。簡単な答えだ。「労働」と「活動」に忙殺されていたのだ。
哲学者のハンナ・アーレントは『人間の条件』のなかで人間の生活における行動を、労働・仕事・活動に分け、現代的に翻案すると、生きるための金銭的対価を得るのが<労働>で、精神的充足や人間らしさを得るために<活動>を行い、その間に<仕事>があると綴っている。
普段はフリーランスで数社を横断してIT関連の仕事をしているが、もはや最近は収入面でも大学関連で受け取る報酬と同じくらいになり、注ぐリソースも基本的には大学での研究活動の方が多いので、もはや最近のアイデンティティは大学の研究者というのが実際のところである。
▲2024年の年末にあった忘年会の会場(神田明神)
〜すればよかったのだろうか
言うなれば、とにかく公私共にいろんなことを引き受け、もうとにかく忙しかった。なので話せることは特段ないのだが、今思い返すといろんな反省点ばかりが浮かぶ。
まず一つに読書するものの多くが研究関連になってしまったのはかなりまずいなと思っている。それはつまりひとえに余裕がないということである。他のものを読むという余裕。
まだ少し前までは文学や小説、プラトンのTiméeなど辞書を使ってちびちび読む余裕があった。今はもうない。博士論文のために読まないといけない文献がまだまだあり、そのほかにも投稿論文の読書も必要である。映画館へもずいぶん行ってないし、というかここ数年盆と年末以外は基本休みがないのである(投稿論文や学位論文の違いは短編小説と長編くらいに思ってくれ)。
誰にあっても基本「疲れた顔をしているね」と定期的に言われる。年上の友達に「アルコール消毒!」だの言われ飲みに行くのも昔は笑う余裕もあったが今はなんだか「寒いんじゃ、おっさん、ボケェ!!」と言いたくなる……が、そいつと3〜4つくらいしかわらない自分がいるので、それは返す刀だと気づきニコニコとだけしている。
▲何かの成分を取り戻すように去年の年末いった中野ブロードウェイ
多分私のようなタイプはわかるはずだ。
休み方がわからないのだ。
そういえば、最近、こんな啓発本が出てた。
休養学: あなたを疲れから救う | 片野 秀樹 |本 | 通販 | Amazon
啓発本の類やビジネス本を読んでいる人を馬鹿にしているせいで、読む踏ん切りがつかないのでぜひ誰か内容を教えて欲しい。論文にもある種の啓発性はあるはずなのになぜ私はそう思ってしまうのだろうか。ビジネス本に感化されてわけわかんない図を使う人を詰めそうになる癖はいい加減なおったが、なおったというより社会性が身についたといういうべきか。
さて、何をしよう
最近は大学の学部生とも喋る機会があったりなんだか過去の自分との答え合わせが行われているようでとにかく小っ恥ずかしい気分になる時がある。もうアラサーなので、キャリア的にも中堅と呼ばれるところに差し掛かり何か特段できるようになったかと言われると、まぁまぁできるようになった気もするけど、まだまだ頑張れるなぁとも思う。
ただ2025年にはすごく気をつけたいなと思ってることがある。それは心の底から思ってる。それは「飲酒」である。体で感じることとして二日酔いの治りが明らかに遅くなったのだ。そして重い。次の日のAMは使い物にならないし、酔ってるのでどうやって帰ってきたのか大体覚えてない。こんなことやれるのは多分30代前半が関の山である。
2025年は節度のある飲み方を身につけるのが目標である。そもそも男性の飲酒文化というのはどこかライトにナラティブ化されているが、、その問題の本質は深刻だ。
飲酒を通してしかオス同士が傷を舐め合えないのはサラリーマン文化なのか家父長制なのかなんなのか専門家じゃないのでわからないが間違いなくなんらかの宿痾(しゅくあ)のような気がする。酒を通したコミュニケーションが体を削るのを男性は気づいているはずだが私含め多くの人はやめられない部分がある。いわゆる「飲まなきゃやってられない」のである。
▲去年出張で行った京都駅
そんなことは実際ないのに呑んでしまう。でっぷり出た腹をよくビール腹というが、そんなふうに健康を害してしまっては本末転倒なはずである。依存症か?と言われるとほとんどの人はNoというはずである。
とにかく今年は飲み会に行っても節度のある飲酒習慣を作るのが目標である。というかこれができないと腹を切る覚悟だ。もうやめたいのだ、心の底から、飲酒を通した摩耗を。
今年(2025年)はどうなるのか
まず間違いなく今年もかなり忙しいと思う。研究の比重がより大きくなり、色々じっくり時間をかけて書いたり分析したり話したりすることが多くなると思う。楽しいことの方が多いが、しんどいなと思うこともあると思う。
それでも酒に頼らずhealthyにやっていくほかない。まだまだ無名の研究者だがもう少し顔が売れるといいなとは素朴に思ってる。ただ同時に年々テキトウなことを言える感じではなくなってきたので、言葉には本当に気をつけている。
▲実はこれAIで作った写真だと聞いたらどう思うか
ここまで怪文書にお付き合いいただきありがとうございます。
今年も精力的に記事を書くかというとあまり書けないと思う。多分どんどん裏側に引っ込む可能性が高い。元々前に出るタイプではないのでそれで良いのだが。
研究関連からたどってこの記事や他の私の記事にたどり着いた人に言いたいのはここにある記事はもう一人の私が書いたフィクションなのでぜひ泡沫の夢だと思って、お腹に咲いた花に水をやってほしい。
さて今年度も終わる。また新しい年度が始まるのだ。それでは年度末の大仕事「確定申告」に取り掛かるとする。
執筆:ShimMyan
前説・編集:恐山R